著者:喜多川泰さんの「One World」を読んで
「自分の時間を誰かの喜びに変えることが、働くということだよ」
先日読んだ著者:喜多川泰さんの「One World」の中の1節
私は今外に出て仕事をしていない
ここだけの話、仕事をしていない自分にかなり罪悪感を持っている
新しい出会いの場所で「仕事は?」と聞かれると「何もしていないんです」と答える自分がなんかモヤモヤしてる 何もしていないのか?いや。してるんだ。自分のやりたい好きなことを。
先ほどの1節を読んだ時私はお金は発生していないのだけれど
私は働いてはいるのかな?とふと思った
今は自分のやりたいことをして過ごしているのでお金は発生していないんだけど
家族のために「おいしくなぁれ」と思いを込めて作っている食事を作る私は働いているということになるだろう きれいなトイレで過ごしたいと思いトイレ掃除する私は働いていることになるのだろうか
日々目の前の人を幸せにしたいと思う
私であれば1番接するのは家族でその家族の幸せを笑顔を見たいと生活するようになった
こんな一節もあった
「来たときよりも美しく。そんな人生を・・・」
これ最近偶然見たYouTubeでも山納銀之輔さんが言ってた言葉
その時も自分の心に深く刻まれた言葉
私がこの世に来たときよりも美しい世界にしてこの世を去りたい。自分のためももちろんだけど自分の次の世代に少しでも美しい世界にしてバトンを渡したい。
少し前からだけど朝の散歩中に見かけるゴミを拾うようになりました。道に落ちているゴミも拾うよ。時々まぁいっかってなることもあるけどなんか偽善者ぶってるなって自分で思うこともあるけど
ゴミが気になってしかたがないのだよね
「もーどうしてこんなにゴミが落ちているんだよー」って思いながら
自分の住んでる町が綺麗な方がいいじゃないね
こんな1節もあったな
「自分の心の状態が変わっただけで、何もかも素晴らしい世界に見えてくる」
これ本当にそうなんだよ。自分の感じ方が全てなんだよね
良い思いも嫌な思いも自分の中の感情が全てを決めている
だから寝るときくらいは、
あー今日も今日みたいに暑い日にクーラーの中で涼しく寝れる私はなんて幸せなんだろうと思う
今日も家族全員が無事に帰ってきてくれた ご飯をみんなで食べられた なんて幸せなんだ
今日はこのことを書いていたら
「仕事は?」の質問に対して「してないんです。」の罪悪感も
今の私ならば「でも(お金を稼いでなくても十分)幸せなんです」って心の中で唱えてしまいそう
楽しんで仕事をしてお金もらえたら素敵なことだけど
あー嫌だな仕事したくねぇなと思いながら自分の時間を人のために使うのは嫌だなと思ってしまっただけ
自分が考えて”しない選択”をしただけなので自分を信じて自信を持って自分の人生を生きようと思う
昨日は七夕だったので父が笹の葉を庭に飾ってくれた
それに喜んだ娘が張り切って短冊を作ってくれて家族5人で飾りました
私の願い「自分と家族が皆健康で、楽しんで人生を送れますように」
どんなに努力しても楽しんで生きている人には勝てない気がする
勝ち負けとかではないけれど
何のために生まれたのか?
私はみんなが楽しんで生きるために生まれてきているのだと思ってます。
さて、今日もとても暑いよ
暑い、夏だからか。でもそれにしても暑いよ。
体調を崩さず無理しないで楽しんで1日過ごしましょ
それでは行ってきます!
行ってらっしゃい!!!