子ども関連

道徳の授業

koikoiya

昨日子どもたちと夕ご飯を食べていると

小学3年生の長女が今日は道徳でこんな授業をしたんだよと話してくれた。

道徳の授業でこんなお話があったという

要約するとお友達にいじめられた女の子がやがて学校に行けなくなり

自分の部屋にこもって過ごすようになる。自分の部屋では折り紙で鶴を折っていたこと

そしてやがて食も細くなりその女の子は自分で折った鶴を抱きしめながら死んでしまったというお話

一生懸命にその話をしてくれた

きっと長女にとってとても心が響くお話だったのだ

一生懸命思い出して それでねそれでねといっぱいそのお話をしてくれた

自分はどう思ったか

いじめはいけないこと

自分だったら何ができただろうと

純粋な心で一生懸命考えて聞いていた長女の話に私の心が震えた感じがした

私はいじめといういじめにはあっていなかったと思う

ただ幼稚園の時に幼稚園の園庭で友達に

「あなたは人よりも少し可愛くないからこの遊具を1人で回してくれる?」と言われて

何人かの乗る遊具を1人で必死に回したのを覚えている

その記憶は強烈に心に残っていて幼ながらに

私は人よりも可愛くないのだなと思っていた

小学校に入ると仲のいい子たちの間で無視するしないだのあった気はするけど

自分が感じたいじめはなかったと記憶している

そして学校で平和なクラスだったのか気づかないだけなのか

いじめの現場に出会わせたことはなかった

長女はいじめを見て何も言わなかった傍観者のことも話していた

でも実際見たことを先生に告げ口して自分がいじめの標的にされたら?と思うと

怖いよねと話していた

いじめは怖いし悲しいし辛い。

長女は一生懸命話してくれて私も幼稚園の時こんなことあったなぁと

子どもたちに話をした

道徳の授業って昔から好きではなかった

自分の意見を言って

中には上辺だけの正論を言ってる友達も見てわかる子もいて

この授業って意味あるのかな?ってずっと思っていたから

物心がついた時からそんなに得意じゃないくて

自分の意見を言うもの苦手だし

人と違うこと言って笑われたらどうしようと思っていたし

的外れはこと言って言いたいことはそこじゃないって言われるのも嫌で

でもこのブログを今書いていて思った

別に良いじゃないね

自分の意見が人にどう思われても

的外れなこと言って笑われても

心ではわかってるけど実際そう今の自分が自分の意見を

思うがままに発言しているかと思えば

場面場面で言葉を選んで発言してる自分がいるな

まだまだ練習は必要だ

家族の前ではわりとありのままを出している気はするけど

子どもたちと話をしていると全然的を得ないトンチンカンな話になることがある

私はそれがめちゃくちゃ面白い

どうしてそうなるの?ということを平気でするから

子どもたちはいつもまっすぐで今を生きている

いいね。そのまま行こう。

大人になるといっぱいいっぱい色んなこと知ってなんでも効率良くしようとしちゃうけど

これ無駄じゃね?ということもきっと意味のあることだと思うから

私は子どもたちと一緒にいっぱいいっぱい話して

今を楽しんで生きていこうと思った

昨日の道徳の話から。ありがとうね。

さて、今日はこちら曇り空です。

いいね。気持ちいい。朝の散歩も良かった。

では今日も良い1日でありますように。

行ってきます。

いってらっしゃい!!!

ABOUT ME
こいこい
こいこい
ぶりぶりざえもんの弟子 私は1日に3時間しか働けないのだ!
関東に住む。主婦。 女の子(小学3年生)と男の子の双子(小学1年生)の母です。 今1番私にとって大切なことは家族でおいしいものを食べて「おいしいね」と言いながら笑顔でご飯を食べること。 最高に幸せな瞬間です。
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